アコミトライフ

岐阜から水戸に嫁いで数ヶ月で妊娠。14年生まれの娘と18年生まれの息子と共に水戸ライフを満喫している主婦のブログ。

 

産後、赤ちゃんと2人きりがとても辛かった私の話

更新:19-05-28

 

私が現在入っているオンラインサロン『クソババアサロン』のインスタグラムにこのような質問をいただきました。

 

 

 

私は現在4歳の娘と1歳の息子がいます。

 

1人目を出産した後、

いわゆる産後クライシス(夫と何を話したらいいのか分からない、夫に対して無性にイライラする、話したくない、触れられたくない)に陥りました。

 

と同時に、産後鬱のような症状も出始めました。

 

質問者さんの意図と少し違うかもしれませんが、

私の体験談をお読みいただければ嬉しいです。

 

 

 

出産前の私は、子どもが大好きで、赤ちゃんが大好きで、

自分も母親になれることが嬉しくて嬉しくて仕方ありませんでした。

 

 

今は2人の子宝に恵まれましたが、

1人目が赤ちゃんだった頃の記憶があまりありません。

 

 

夫がカメラオタクなので、娘の写真はそれはそれは大量に撮ってあるのですが、

当時はもちろん今でも見返すとちょっと心がキュッと痛くなるので、

あまり見たくありません。

 

娘が憎かったわけでは全然なくて、

かわいいなぁと思うにはちょっと心に余裕が足りなかったのです。

 

 

夫婦の関係も最悪でした。

 

あのとき、離婚を突きつけられててもおかしくなかったと思います。

 

まさか、自分がこんな風になってしまうなんて思いもしませんでした。

 

ずっとこのまま光の見えない暗闇をさまようのだろうか。

娘にとってそれは良いことであるわけがないよな。

ずっと悩み苦しんでいました。

 

でも、気づけば立ち直っていました。

 

2人目も妊娠出産することができました。

(ちなみに2人目出産後は全く悲しくなることもなく平常でした。)

 

夫とも仲良く話すことができるようになりました。

 

そんな私の経験をここに書き記すことによって、

同じように苦しんでいるお母さんたちが、あぁ私だけじゃないんだなとちょっとでも楽になってくれれば嬉しいです。

 

 

そして、まだ、出産をしていない女性も男性も、

産後、こういう風になる可能性はゼロじゃない。

脅すつもりじゃないけど、心づもりをしとくと多少は慌てなくて済むんじゃないかなと思います。

 

私がどういう状態で産後鬱ギリギリラインまで至ってしまったのか、また、どのように立ち直ったか、今からお伝えしますね。

 

かなり長い自分語りになってしまいますが、お時間のある方はお付き合いください。

 

 

里帰り期間中は産後も順調だった

私は、里帰り出産だったので、産後しばらくは実家のある岐阜で過ごしていました。

 

実家と言っても、私には父がおらず、母は姉家族と同居していたので、実際には姉家族のところにいた、というのが正しいです。

 

母と姉と、当時中学生と小学生だった姪っ子2人で一緒に過ごした数ヶ月は、岐阜から遠く離れた水戸で過ごしていた私にとって、とても楽しく快適な日々でした。

 

母は働いていましたが、姉は専業主婦だったので、昼間も家にいます。

産後、眠くて眠くて耐えられなくなっても姉にしばらくみてもらっている間、寝させてもらうこともできました。

 

また、姉妹がいる家庭は大体そうかなと思うのですが、とにかく女はしゃべります(笑)

 

姉と私だけでも話は尽きませんが、ここに夕方仕事から帰って来た母が加わると、もう男性陣は入る隙がないぐらい、口が止まりません(笑)

 

ときたま、シャワーで突然涙が溢れてきたこともあったけど、

あっ、これが俗に言うマタニティブルーだな、と思うぐらいで、冷静に対処できたし、これぐらいなら大丈夫だなと変に冷静な自分がいました。

 

↓姪っ子に抱っこしてもらう娘。

安心して任せられる人がたくさんいるってそれだけで心強い。

 

里帰り先から帰ってからは泣く毎日

里帰り出産をした場合、産後1ヶ月経過して、1ヶ月健診で母子共に問題なければ自宅に戻る方が多いと思います。

 

私は1人目出産したのが11月だったので、1ヶ月後は年末。

どうせならということで、年末年始は実家でゆっくり過ごして、1月中旬に水戸に戻りました。

 

実家でわいわいガヤガヤ過ごしていた日々から一転、水戸では私と娘2人きり。

 

夫はもちろんいるけれど、日中は仕事だし、

そもそも、産後のホルモンの影響なのか、当時、私は夫と普通に会話することもできなくなっていました。

 

私の場合は娘にイライラするのではなく、夫にイライラしていました。

 

決して、夫が育児に非協力的だったわけではありませんよ。

むしろ、逆で、抱っこもオムツもお風呂も、自らやろうとしてくれました。

 

でも、私がそれを許容できなかったんですね。

 

いわゆるガルガル期だったんだと思います。

 

赤ちゃんを守れるのは私しかいない。

夫に任せるわけにはいかない。

 

そう思っていました。

 

そんな精神状態を察していたのか、娘はとにかく(私が)抱っこしてないと泣く子で、5分とも1人で寝かすことができませんでした。

 

もちろん私は寝不足。

唯一頼りになるはずの夫には頼りたくない。

 

心身共に疲れはてた私は、娘を抱っこしながら、気づけば頬に涙がつたっていました。

 

時には、泣きじゃくることも。

 

この辛さを分かち合う相手が誰もいない。

それが毎日毎日続くのです。

 

電話で母や姉と話すことはできたけれど、

声を聞いたら絶対泣いちゃいそうで、

そしたら母は間違いなく心配するだろうなと思うと、なかなか電話ができませんでした。

 

赤ちゃんと2人きりで話し相手もなく気分転換もできない日々

産後のメンタルダメージを加速させる要因っていくつかあると思いますが、私の場合はたぶんそれがほとんど当てはまってしまったのだと思います。

 

とにかく話し相手が欲しかった私。

それなのに当時の私には話し相手を見つけることができなかったのです。

 

チャイルドシート完全拒否

水戸は車社会です。

どこに行くにも車がないと行けません。

 

それなのに娘はチャイルドシートに乗せた瞬間に阿鼻叫喚。

自分の娘の泣き叫ぶ声を聞きながら冷静に運転できるほど私は強くありませんでした。

 

子どもを自由に遊ばせられる児童センターのような施設もあって、そこに行けば、同じようなママさんやそこに常駐している保育士さんとお話できたのかもしれませんが、

そこに行くのにも車が必要。

 

バスで行くという方法もあるけれど、

住み始めて1年未満(その間、ほとんどが夫の車で移動)の私にとってのバス移動は難易度が高過ぎでした。

 

近所はお年寄りのみ

今は引っ越しましたが、当時住んでいた家の周りにはお年寄りしかいませんでした。

 

娘を連れて散歩すれば、すれ違ったお年寄りから、かわいいねーと言われることはあったけど、

そこから、辛いんですー!と愚痴を言える仲にはさすがに発展させられません。

 

しかもね、今思えばほんと末期症状だったと思うのですが、

他人からの『かわいいね~』が当時は辛くて辛くてしょうがなかったんです。

 

そりゃ、自分で育ててなければかわいいと思えるでしょうねー

 

って思ってました。

 

私は娘がかわいくなかったわけではない。

かわいいと思う心の余裕がなかったのです。

この子を育てなければ!という義務感のみ。

 

だから、優しく声をかけてくれる近所の方も私には重荷でした。

 

これが、同じ子育て中のお母さんだったらまた違ったのかなぁと思ったり。

 

当時はTwitterもほとんどしてなかった

皆さんはTwitterはしていますか?

Twitterでは、同じぐらいに出産したお母さんを見つけやすいです。

 

そのお母さんたちとつながれば、

『夜泣きがひどい』と愚痴れば、『うちもー!』と共感してくれたり、

『夜中の授乳中』と呟けば、『うちもだよー!』と話し相手になってくれたり。

 

と、自分の感情の捌け口にもなるし、共感してくれる仲間もできます。

 

でも、当時の私はTwitterアカウントを持ってはいたけど、そこまでコミュニケーションは取っていなかったので、全然活用していませんでした。

 

あのとき、Twitter使ってれば、あそこまでメンタルやられなくて済んだ気がします。

 

何もしてない時間が怖くて手当たり次第にLINE

こんな感じで話し相手がいなかった私は、連絡先に入っている友達に手当たり次第LINEをしてました。

 

もう、黙っていると泣けてくるから。

 

誰でもいいから話し相手になって欲しかった。

 

ひどいのは、うちの会社でお世話になっている社労士さんが、私とほぼ同い年で娘より2歳年上の女の子がいるんですけど、

その女性に、産後の辛さをぶちまけ、呪いのごとく、友達になってくれませんか?とLINEしていたこと。

 

その女性はとても優しい方なので、心配してくださったのですが、今思えばイタイですね、私。ハハハ。

 

友達になってくれ!と直談判はしましたが、さすがに申し訳なくて、それ以上愚痴を言うこともあまりなく、プライベートで直接会ったことも今のところありません。(会社では年に数回会っています。)

 

もう限界。夫に気持ちを吐露。

夫と話す気力もなかった(話したくなかった)私は

娘の寝かしつけと同時に自分も寝ていたので、

実際ほとんど夫と話すことはありませんでした。

 

 

はじめは私がこんなに辛い思いをしていることをたぶん夫は知らなかったと思います。

 

でも、私の限界が来てしまいました。

 

夫にLINEで

『私、産後うつかも。涙が止まらない。岐阜に帰りたい。』

と送りました。

 

既読が着くやいなや、夫がすっ飛んで帰ってきました。

 

そして、泣きまくる私を見て、夫は気づかなくてごめんねと謝り、

焦った夫はなぜかその場で、私たちの結婚式を取り仕切ってくれたウェディングプランナーさんに電話していました(笑)

 

いや、ここ笑うとこじゃないな。

 

そのウェディングプランナーさん、夫が思い付いた唯一の私が水戸で知っている信頼できる女性だったんだと思います。

 

その他にも、育児について相談できる連絡先など色々調べてくれました。

 

立ち直ったきっかけは実家への再帰省

『岐阜に帰りたい』

夫にも、上述したウェディングプランナーさんにも、そして相談窓口に電話した先でも、実家に帰りたい旨を伝えました。

 

夫以外の相談先からは、『帰ってもいいと思うよ』と言ってもらえたので、夫にその旨を伝えると、夫も了承してくれました。

 

そして、私はまた実家に帰ることにしたのです。

 

実家にいる間はまた楽しく過ごし、

水戸に再び戻ってきたのは娘が4ヶ月になった3月でした。

 

ほんとは帰りたくなかったけど、水戸市が主催している【メダカ教室】という同月齢の子どもを持つお母さんたちが集まる教室に参加申込をしていて、その開催日が近づいてきたので、帰らざるを得なかったんですよね。

 

(それが唯一の友達を作れるチャンスだ!と思っていて、実際そこで今でも仲良く遊ぶ友達ができたので行って良かったです。)

 

水戸に戻ってまたおかしくなったらどうしようかと思いましたが、

1月に戻った時と比べて格段に良くなっていました。

 

ほとんど泣かなくなったし、夫ともだいぶ喋れるように。

 

春になって雪がゆっくり溶けるように、私の心の複雑にからまった糸も徐々にほどけていきました。

 

まとめ

もう4年近く前のことなので、一生懸命思い出しながら書きました。

我ながら、よく頑張ったな。

そして、夫もよく耐えたな。

 

ここまで読んでくれてありがとうございます。

 

今、夫と娘と息子に囲まれ、笑って過ごしていられるのがとても不思議なくらい

あの頃はもうほんと病んでいました。

 

今、同じように苦しんでいるお母さんがいたら、

必ず立ち直れる方法はあるよ!必ず元気になれるよ!

私で良ければ何でも話聞くよ!

と伝えたい。

 

 

そして、新米パパさん、

もし奥さまが同じように苦しんで いたら、奥さまが何を望んでいるのか、

じっくり話を聞いてあげてください。

あなたも辛いかもしれません。

でも、ここは我慢時です。

奥さまと赤ちゃんに寄り添い、親身になってあげてください。

あなたがよく分からないなりに、家族のためにしてあげた行動は、

もし的外れだったとしても、無駄にはなりません。

 

もし、私の夫があの時愛想をつかしたり、逆切れされたりしたら、

今の家族、今の幸せ、今の私はいなかったと思います。

 

家族で乗り切ってくださいね!

 

 

家族が無理なら、出産した病院、自治体の相談窓口、母乳相談室のようなところでも話を聞いてくれるかもしれません。

 

産後鬱も産後クライシスも、ホルモンのせいですから。

 

悩みを自分の中に溜め込まないで、吐き出せるところに吐き出しましょう。

 

 

だいぶ、回復してきた夫婦仲をさらに加速させた話はこちらに書いています。

もし良ければ読んでみてください。